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校長ブログ

~ 校長室の窓から ~「 シスター大河内の放送朝礼のお話 」

2016.09.29

「 神様は私たちに成功してほしいとは思っていません。ただ挑戦してほしいと望んでいるだけです 」

先週まで東階段の一階のホワイトボードに書いておいたマザーテレサの言葉です。

今日でもう前期も最後の授業の日となりました。
この半期を先ほどのマザーテレサの言葉と共にふりかえってみたとき、どうでしょうか?
最近のことからふりかえってみれば、清泉祭、それぞれの活動の中で、実際に挑戦し、苦戦したとしても達成感や喜びを味わえた体験がきっとあったのではないでしょうか。それから9月試験、夏休み、と、ずーっとさかのぼっていって今年度の初めの4月まで振り返ってみてください。いろいろなことがあったでしょう。その中で、神様が望まれるような挑戦を何回したことがあったでしょうか?それはどんなことだったでしょうか?大きなことでなくても、小さなことでもいいのです。今日が終わるまでの間、心のどこかでそれを思いめぐらしながら過ごしてみましょう。一つでも見つけられるといいなと思います。

「挑戦」というと、何か大きな目標をかかげて実行に移していくという印象のある言葉で、私など生まれついての穏健派ですから、どちらかというと苦手な言葉です。ただ、のらりくらりと生きてきたような私の人生の中でも、何べんかは思い切り踏み切ってジャンプしたということがあって、今に至っています。何といっても、大きいジャンプは修道院に入ったときだったでしょう。ちょうど昨日、おとといでしたか、ある先生から「シスターは何歳の時に修道院に入ったのですか?」と聞かれました。「25歳です」と答えました。「若い時だから、勢いがあったからできたことです」と、年よりみたいな言い方でつけたしました。それから「でも思い切って踏み出さないと、自分の人生って始まらないですね」と言いました。我ながらなかなかいいことを言ったな、とその時思いました。

人生の中ではいろいろな分かれ道があります。
進路のこと、仕事や結婚のことなど、選ばないと前に進んでいきません。何か一つを選ぶということは、それ以外のことを捨てるということでもあります。だから人は迷うのです。ただし現代は「あれもこれも」という時代です。迷ったり、あとで選んだことを後悔したりするのが嫌なので、決定を保留したり、どちらにでも修正可能な道を上手に残しておくことも、昔と比べて簡単にできるようになりました。でもその流れに甘んじていると、なかなか「自分の人生」は始まらないんじゃないかな、という気がします。そうやってなかなか自分の人生を始めようとしないのは、どこかで「成功」を求めていて失敗を恐れているからなのかもしれません。

そこでもう一度、マザーテレサの言葉に返ってみましょう。
神様は私たちに成功を求めていらっしゃるのではなく、私たちが何かに賭けてみよう、やってみよう、というそういう気持ちを応援してくださっているんだ、ということを心の中でじっくり味わってみると、何か温かな希望や、心を奮い立たせる勇気が湧いてきませんか。
この選択は何も人生の大きな選択のことだけを言っているのではありません。私たちの普段の小さな行いの中で、たとえば「断られるかもしれないけど、席を譲ってみよう」とか、家族に素直な気持ちでありがとうというのが気恥ずかしかったけれども、ふと言ってみるとか、そういうことです。
そんなことを考えて、心のどこかに置いておいて、神様の温かなまなざしのもとで、私たちが希望と勇気をもって、毎日の生活の中で小さな一歩でも踏み出していくことができますように、祈りたいと思います。

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