2015年度 71期入学式祝辞
2015.04.08
本日8日は、入学式が行われました。
以下は、入学式祝辞の要約です。
新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。皆様のご入学を皆で心からお待ちしておりました。また本日は、学校法人清泉女学院理事長シスター塩谷、泉会会長桜井様には、ご多忙中にもかかわらずご臨席を賜り厚く御礼申し上げます。そして保護者の皆様にも心からお喜びを申し上げます。おめでとうございます。
新入生の皆さんは今日の入学式を楽しみにしていらしたと思います。清泉の桜は数日前あっという間に満開を迎えましたが、今日の入学式まで頑張って美しい花を残してくれています。
実を言いますと、私は皆さんと同じ校長1年生です。先日のオリエンテーションの時の校長先生とは違う人だな?と思ったでしょう。つまり、皆さんは私にとって校長として初めてこの学校にお迎えする記念すべき1年生です。
さて新入生の皆さんは本学院の71期生になります。1期生の入学した年が清泉女学院のスタートした年です。以前マスコミの報道によく登場していた、前の千葉県知事の堂本さんが清泉の1期生でした。そこから数えて、1万2千名以上の卒業生を世に送り出したことになります。このように沢山の卒業生が巣立ったわけですが、実は私もその中の一人です。
ところで、この学校の敷地内にはいくつかの建物があります。それらの建物にはラファエラ館とかラマリオ館というちょっと変わった名前がついています。ラファエラというのは清泉の創立者ラファエラマリア様のお名前です。そしてラマリオというのはラファエラマリア様の意思をついで日本にいらした4人のシスター方のお一人です。
清泉女学院のはじまりは、1934年に4人のシスターが来日したところから始まります。その後、戦後の荒廃した時代に学問と全人教育の場を日本の若い女性にという理念のもと横須賀の地に学校がスタートしました。私は、その横須賀の地で入学式を行い、その年の夏休み明けに現在の大船に移転した清泉の激動期を経験した新入生でした。なにしろ大船からのバスは現在のルートは未完成で、フラワーセンターの方を経由してやっとたどり着いたのをかすかに記憶しています。このあたりのお話は長くなりますので、また別の機会に致します。
清泉では勉学と心の教育の両方をよく伸ばしていくことを目標に教育活動を実践しています。勉強がいくら優れていても、人の痛みを理解できない人間になっては意味がありません。そこで新入生の皆さんには2つのことをお願いしておこうと思います。
一つは、しっかり基礎的な学習に力を入れてください。将来どのような仕事に就くにしても基礎がしっかりしていないと一人前にはなれません。また、中学で習う科目はすべてが将来の基礎となる科目ですから個人的に好き嫌いがあっても学習すべき事はきちんと身につけて下さい。それが成長してどの場面で役に立つかは現時点では予測不可能なのですから。
二つ目は、まわりの人の喜びが自分の喜びになるような人になってください。このことが実践できていれば、クラスやクラブ活動などでいじめなどが起こるはずがありません。
そして今年度からの学校目標は「SURSUM CORDA」です。この言葉はラテン語ですが、日本語に直訳すると「心を高く挙げよ!」という意味になります。ちょっとわかりにくい言葉ですが、身近な例をあげれば「両親から与えられた能力をより高く伸ばしなさい。そして、まわりの人の心に光と喜びを与えられるよう努力しなさい」ということです。
前に御紹介した1期生の堂本さんは同窓会の会報に寄稿して下さった文章の中に「清泉女学院の学校生活の中で知らず知らずのうちに『まことの知と共にまことの愛』をいただいた」と述べておられます。これこそが今も私達が目指している清泉における教育の根本精神です。
また皆さんがこれから長崎を訪問する機会がありましたら、長崎市西坂公園にある26聖人殉教の地をぜひ訪ねて下さい。実はその石碑の裏側にほとんどの人は気付かない「SURSUM CORDA」の言葉が刻まれています。それはこの石碑の作者が、迫害を受け過酷な運命をたどることになった26名のカトリック信者が、あくまでも信仰を捨てずに天国へ召される直前に思い浮かべたであろう言葉を想像して刻んだものだと言われています。
この言葉の解釈は幅広く様々ですが、どうか皆さんも困難な状況に遭遇したときはぜひこの言葉を思いだし、常に前向きな考え方で困難を克服して前進して下さい。
以上で私の入学式の挨拶とさせていただきます。