~校長室の窓から~ 「放送朝礼のお話 校長 小川 幸子先生」
2024.11.25
おはようございます。今日はまだ11月なのですが、12月の月目標の「真理」についてお話しします。真理と似たような言葉で真実、という言葉があります。真理と真実はどう違うのでしょうか。ChatGPTに聞いてみたところ、真理というのは時代をこえた真実を言うのだそうです。たとえば、地球が太陽の周りをまわっている、というのは科学的な真理、ということになります。ただ、10の価値の「真理」や、聖書で書かれている「神は真理である」の「真理」はそのような科学的なことではないですね。時代をこえて、地域や民族の違いを超えて真実と信じられる価値観、といえるでしょうか。
ちょっと難しい話になってしまうので、少しかみ砕いて、真理を「ほんとうのもの、こと」と言い換えてみましょう。実際英語だと本当も真実も心理もtruthです。
たとえば、先日電車で若い男性がお年寄りに席を譲りました。断ろうとするお年寄りに、その男性は「僕、次の駅で降りるんで」と言ってドア近くに立ちました。でもその彼は次の駅では降りず、少し離れたところへ移動していきました。「次の駅で降りる」というのは嘘、と言えば聞こえが悪いですが、本当はその男性はお年寄りが座りやすいように気遣ってくれたわけです。本当のことは表向きの言葉だけではわからない、ひそやかな親切のなかに存在していたりします。
もう一つの例です。ずいぶん前の話です。私は聾学校の生徒、つまり耳の聞こえない生徒達のグループが道路にアイスクリームのごみをポイ捨てしたのを見たことがあります。なぜかその時、とても嫌な気分になりました。普通の高校生がポイ捨てしたら、単純に「もうっ!だらしない!」と思うのですが、それとは違う嫌な気持ちでした。なぜだろう、と思って色々考えたのですが、それはきっと、自分の予想外だったからだろう、と思いました。当時の私は障害を持った人たちは健気に一生懸命生きている人、というイメージを勝手に持っていました。だから、ごみのポイ捨てを見て、裏切られたような気持になってしまったのです。でも考えてみれば障害のある人もそうでない人も、本当は皆人間としては同じで、性格や行動も様々なはずです。障碍者はゴミのポイ捨てをしない、するべきではない、などと言うのは私の勝手な思い込み、先入観だと思いました。思い込みや先入観を持っていると、本当のことが分かりにくくなってしまいます。
さらにもう一つの例です。アメリカの大統領選挙でトランプ氏が「不法移民が地域住民のペットをさらって食べている。」と発言しました。常識的に考えればあり得ない話で、実際、町の当局者も否定しましたが、トランプ氏はニュースでそう言っていた、本当の話だ、と主張し、彼の支持者はそれが本当だと思っています。信じられないようなデマも拡散して多くの人が「ひょっとしてあり得るかも」などと思ったところで本当のこととして信じ込まれてしまいます。SNSでは最近よくあることです。
さて、話を「真理」に戻します。私は再びChat GPTに「真理を求めるにはどうすればよいか」と聞いてみました。すると、真理を求めるには4つのことが必要だ、と言われました。1つは疑問を持つ姿勢、2つ目根本的な理解を求める姿勢、つまり表面的な理解ではなく、なぜそうなるのか、またどのようなつながりがあるのか、など深く理解する、ということですね。3つ目、偏見を排除する努力、先ほどのごみのポイ捨ての例にあたります。そして4つ目が継続的な学び、つまり学びを止めずに新しいことを常に学ぶ、ということです。さすがChatGPT,素晴らしい答えだと思いました。ただ、科学的な真理ならともかく、清泉の10の価値の中の「真理」、という点では、私はこの4つだけではちょっと足りないような気がしています。ここ数日ずっと考えた結果、私は「想像する力」つまりイマジネーションを加えたいな、と思いました。なぜか、というと、「真理」を求めるには今自分が見ている現実の世界を超えるような自由で豊かな想像力が必要だと思うからです。どうでしょう。皆さんなら何を加えますか?