~校長室の窓から~ 「放送朝礼のお話 宗教部主事 外国語科 大瀧先生」
2025.02.12
おはようございます。今朝は2月の月目標「責任」についてお話したいと思います。今月のポスターは中2の宮野真乙さんが描いてくださいました。ありがとうございました。
皆さんは「窓ぎわのトットちゃん」という本を知っていますか。「徹子の部屋」で有名な黒柳徹子さんの自伝的な物語です。1981年に刊行され、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーとなりました。
その「窓ぎわのトットちゃん」の続編が一昨年出版されました。その中で「責任」ということについて印象的な話があったので紹介したいと思います。黒柳さん=トットちゃんが小学生の時の話です。戦争が続き、ものが不足していた時代でした。学校帰りの最寄り駅で、戦地に赴く兵隊さんが家族や町内の人たちに見送られて、出征の挨拶をしているところに出くわします。すると、見知らぬ人から日の丸の小旗とこんがり焼けたスルメの足を差し出されます。まわりを見ると皆が兵隊さんに向かって「バンザーイ!」と叫びながら、旗を振っていました。「スルメは旗を振るともらえるお駄賃なんだ。」と思ったトットちゃんは、まわりの人と一緒に「バンザーイ!」と叫び、一生懸命に小旗を振りました。この出来事の後、トットちゃんは兵隊さんの出征式を心待ちにするようになり、授業中でも駅の方から「バンザーイ!」が聞こえてくると、授業を抜け出して駅に走り、日の丸の旗を振り、スルメの足をもらっては夢中になってそれをしゃぶりました。ところが、食糧不足の波が出征式にも押し寄せ、ある時からいくら旗を振ってもスルメがもらえなくなります。スルメがもらえないとわかってから、トットちゃんはがっかりして、出征式に行くのをやめてしまいます。その後、トットちゃんの父親も親戚や身近な人たちも、つぎつぎと兵隊さんになって戦地に向かいました。
その後の部分を原文のまま読み上げます。
「戦争が終わると、帰ってきた兵隊さんも、帰らなかった兵隊さんもいた。戦争中はよくわからなかったけど、戦争が終わり、スルメをもらって万歳をするのは、けっしてやってはいけないことだと知った。
トットは考えた。
自由ヶ丘の駅前で、トットたちに見送られて戦地に向かった兵隊さんたちのうち、いったい何人が無事に日本に帰ってこられたのだろうか。
トットが日の丸の小旗を振って兵隊さんを見送ったのは、スルメの足が欲しかったからだ。でも、兵隊さんたちは旗を振るトットのことを見て、「見送ってくれるこの子たちのために戦うんだ」と自分に言い聞かせて、戦地に赴いたのかもしれない。
もしそうなら、そしてその兵隊さんが戦死したなら、その責任の一端はトットにもあるはずだし、スルメ欲しさに「バンザーイ!」と叫んだトットは、兵隊さんの気持ちを裏切っていたことにもなる。
大人になってから気づいたことだけど、この日の丸の小旗を振ったことをひどく後悔した。どんな理由があっても、戦いにいく人たちを「バンザーイ!」なんて言って見送るべきではなかった。スルメが欲しかったとしても、トットは無責任だった。そして、無責任だったことがトットが背負わなくてはならない「戦争責任」なのだと知った。」
(「続 窓ぎわのトットちゃん」黒柳徹子 講談社)
この部分を最初に読んだ時、私は軽い衝撃を受けました。それまで「戦争責任」というと、戦争を始めたり、継続したりした国の中枢にいる人たちが主に関係する言葉だと認識していたからです。それを黒柳さんは、小学生の自分にも戦争責任があったと書いているのです。これを読んで、「責任」というのは私たちの日常の様々な場面について回るものなのだと改めて感じました。直接は関係ないように見えることであっても、自分の行動一つによる影響が実は存在するのだということを私たちは意識しておくべきなのかもしれません。「行動」には、自分がどのような言葉を発するかということも含まれています。自分が発した言葉を相手はどう感じるか、どう受け止めるかを考え、責任を持って口に出す(場合によっては口に出さない)ということです。そのように何事にも責任を持って行動するということも大事ですが、一方で過ぎてしまったことについては、黒柳さんのように、自分が「何かをした責任」「何かをしなかった責任」をしっかり受け止めて、その後どう行動していくかが問われるような気がしています。